2019年5月17日金曜日

『11』津原泰水(河出文庫)


昔、中古高級腕時計の鑑定の仕事をしていた。細かな査定には高度な技術が要るが、裏蓋を開け一見すれば真贋くらいは素人でもすぐにわかることが多い。粗悪な偽物は外観のみそれらしくつくられていても中身はといえばお粗末な機械たちが雑に押し込められくすんでみえる。本物は違う。緻密に組まれた小さな歯車ひとつに至るまで入念につくりこまれ、普段見えない部分であるにも関わらず装飾が施されているものまであり、光輝いている。

 津原泰水の短編集『11』はそんな高級時計のような作品だ。まずは文体=外観の変幻自在ぶりに圧倒される。一息つき査読してみると、話を構成する部品たちは丹念に磨き上げられ、理知の力によって精緻に組み上げられている様がみえてきて、さらに驚く。
 
亡き娘の遺品である延長コードを繋げ闇へと降りていく『延長コード』、恋人の顔を焼いた美術家がその幻影に取りつかれる様を日記体で描く『微笑面・改』、男と別れひとりで暮らす女が同じ種類の犬を飼い続け狂気に陥っていく『クラーケン』などそれぞれ違う味わいの十一の作品が収められており甲乙つけがたいが、頭に置かれた『五色の舟』は白眉だと思う。

 大戦前夜の日本。見世物を生業とする「家族」が一艘の舟に身を寄せ合うようにして暮らしていた。家族、といってもそれぞれ血は繋がっていない。主人公「僕」は腕がなく口がきけない。それゆえ座長である「お父さん」にひきとられた。他の「家族」は、一寸法師で怪力の昭助兄さんや、腰から下をもうひとりと分け合って生まれた桜、膝の関節が後ろ前の牛女・清子さん、みな客にみせるために寄せ集められたものたちである。興行のため、蛇の鱗の刺青を入れられたり、「姉弟」の交わりを強いられたりと、客観的にみれば甚だ酷い環境であるが、本人たちは、しかしどこか幸せそうである。地獄のごとき世のなかで、分かり合えるものがいる小さな舟のなかだけは聖域のようだ。そんななか「お父さん」が牛と人のあいだに生まれ、予言ができるとされる「くだん」を買い取ろうとしていた。その目的は単なる見世物のためだけではないことが徐々にわかってくる。聖域が破壊されそうだという危機感に「僕」は奔走するが、ついに「くだん」と対面し、事態はまったく予想しえなかった展開をみせる。

 残酷が日常である異形のものたちの世界であるが、作者は興味本位でそれを題材として選んではいない。端正で優美な筆致も、雰囲気や美的センスといったような感覚的な言葉には回収されない。終盤の重要な展開に関係するので詳しく述べられないが、そのSF的仕掛けともっともかけ離れたところに位置する登場人物たちと、もっともそのジャンルから遠いるようにみえる語り口が採用されていることにより、読者の驚きが最大限増幅されるのだ。すべては物語を駆動させるのに必要不可欠な機構として組み込まれ完全にコントロールされている。M