2022年4月16日土曜日

『族長の秋』ガブリエル ガルシア=マルケス(集英社文庫)

  ウクライナ侵攻よりだいぶ前、この本を次回読書会の課題本にしようと決めた理由は「なんとなく」だったのだが、この小説に書かれていることと今ニュースでみる「彼」との重なりは怖いくらいだ。

 大統領が死んだ。南米某国をモデルにしたと思しき架空の国。彗星が何度も巡りくるような長い年月、大統領はその国を絶大な権力で支配していた。ガブリエル・ガルシア=マルケス『族長の秋』は彼の晩年を、周囲の人間たちの語りも交えつつ描き、権力というものの残虐性と滑稽さ、そして空虚さを浮かび上がらせていく。

 睾丸にヘルニアをもち、常に身体的苦痛に悩まされる老大統領。独裁者として長年君臨し続けているが、公の場に姿をほとんどみせず、民衆はすでにその存在すら疑っているような伝説の存在だ。

 広大な官邸には、自ら世話する牛を飼い、彼を奇跡を起こす神のように慕う病人たちが溢れかえっている。やさしく寛大にみえるが、権力を維持するため手段を選ばぬ冷酷な面も合わせもつ。

 周囲の人間を粛清していくその手際と手法は凄惨極まりない。

 極め付きは中盤ある人物を処刑する場面。裏切りの影に疑心暗鬼になった彼は目を背けたくなるような容赦ない罰をくだす。何かを食べながら読むのは要注意だ。これにかんしては例えば、残酷シーンが印象深いなあの映画やあの映画(タイトルを書くと即ネタバレになるので。すみません)などを思い起こさせるが作られたのはこの小説のほうが先なのであれらはすべてここから想を得たのではないかなどと勘ぐってしまう。

 恐怖による支配は周りにイエスマンのみをつくっていく。

 <親衛隊の兵士たちが軍靴のかかとを鳴らして敬礼し、異常はありません、閣下、と報告した。しかし大統領は、それが事実でないこと、普段の癖ででたらめを言っていること、怖くて嘘をついていること、この不安定な状況のなかでは真実と呼べるものは何ひとつないことなどを、ちゃんと心得ていた。

 先日ロシアの「彼」が閣僚たちに会議で意見を求めるシーンをTVで放映していたが、「意見を求める」というのは形だけで、恫喝めいた彼の視線に恐れおののき脂汗が垂れるのがみえそうな閣僚たちはしどろもどろで「彼」の求めるままの答えを述べていた。また、閣僚たちは予想外に苦戦を強いられる実際の戦況を報告するのが怖くて虚偽を述べていた、という報道もみた。「彼」もまた恐怖という強固な壁をつくり、そのなかで孤立し、真実がもはやみえないのだろう。

 一方ですべてを手に入れたかにみえる彼が老いてなお求めるのは「愛」である。特に女性からの愛に飢えている。ミスコン優勝者の美人、正妻となる元修練女、そして母親。「母なる海」という言葉があるが、国のいたる事物を列強国に搾取され続けるも頑なに譲り渡すのを拒否した「海」にそんな女たちの愛をかんじていたのではないか。

 もはや崇拝対象ともいえる彼女らは様々な形で彼のもとを去っていく。なかには彼が行った数々の悪行の報いであるかのような凄惨な最期を遂げるものもいる。孤独に陥った彼はあわれロリコン老人となり果てて女学校の生徒にまで手を出す無様を晒す。

<彼は自分に愛の能力が欠けていることを悟り、この呪われた宿命をわびしい悪癖めいた権力への熱烈な帰依によって埋め合わせようと努めた>

 愛を手に入れられない彼は、さらに残虐な行為をスカレートさせていく。

 かように作品は大統領の魂の崩壊を描くのだが物語は一方向には進まない。過去と現在を頻繁に行きつ戻りつしながら語られるこの小説には改行がほとんどないため時間の切り替えがわかりにくい。読者は今読んでいるのがいったいいつの話なのか、いつしか判然としなくなってくる。それは老いた大統領の頭のなかを疑似体験しているかのようだ。愛に飢え、郷愁にすがる彼は現在に生きておらず過去の海に溺れているのだ。そして彼の死体にはコバンザメや貝など無数の海の生物がこびりついていた。

<大統領はテーブルに載せていたこぶしを開き、手のひらのものを相手に見せた。こいつは、そこらに転がっているただのビー玉だが、しかし持つと持たぬのでは大違いだ、いいかね、祖国とはそういうものなんだ>

 後生大事に握りしめる権力という名のビー玉は幻想を寄せ集めてつくりだしたただのガラス玉かもしれないが、それは大勢の人間を死に追いやることもできる恐ろしいガラス玉だ。そのガラス玉を最後まで手放さないつもりなのかと現実世界の「彼」をみながら考える。M