2022年8月29日月曜日

『島 水平線に棲む幻たち』岡谷公二(白水社)

  旅行へ行ったとき、何でも写真を撮りすぐにSNSでシェアしてしまうのは現代病だと自覚しているものの中毒でやめられない。一方でそんな行為にどこか虚しさを感じ、倦んでいる。というひとは多いのではないか。旅行が趣味の私もそうなのだ。旅を記録することや伝えることについてぼんやり考えていた時、偶然本書に出会い深く心に沁みた。

『島 水平線に棲む幻たち』は、フランス文学者・美術研究者岡谷公二が、まだ観光化される前の日本の離島を巡り記したエッセイである。登場するのは石垣、西表、瀬戸内、種子島など南の島々だが、本書が発行されたのは1984年で、実際に旅をしたのはさらに前のようなので、私たちがイメージするような高度に開発された明るいリゾート地といった趣はここにはまだない。閑散とし、うら寂しく、過疎に晒され、ときには古いしきたりや掟が根強く残る、本土とは切り離された異界。そんな離島の姿を、著者の鋭い目がとらえ、詩情に満ちた文章に昇華していく技芸が素晴らしい。写真など図版は一切付されていないが、文字以外の視覚情報がないからこそ、見知らぬ島の風景が音が匂いがまざまざと浮かんでくる。

<海と空へ向って無限にひろがってゆく島の空間は、大きな開放感を与えてくれたが、一方で支えを失ったような不安と、海にたえずつけ狙われているといった微かな恐怖をも感じさせた>。

 著者が各々の島へ来た目的は詳述されない。それゆえ、読者も突如非日常の時空にワープしたような不安と高揚が入り混じる感覚をおぼえる。

<明るい光の中を歩きまわっていると、自分までが光となって、少しずつ輪郭や実体を失い、体が軽くなってゆくように思われた><そうした光が、波ひとつない海面一杯に反射して、きらめいているのを長い間見ていると、酒に酔うように光に酔った。私がでかけてくる午後から夕方にかけて、光は、一層の豊醇さとこくを加へ、濃く淀んで、いくらか粘り気さえ帯び、海をはじめ、視野の中のすべてのものを、油を塗ったように輝かせた。海そのものが、光のたゆたいと化すかと思われた>。

 こちらまで”光酔い”しそうなくらくらさせる文章である。日が沈んだあとはさらなる魅惑的描写が続く。

<空には無数の星が輝いていた。それにしてもなんとみごとな星だろう。この亜熱帯の島では、植物同様、星までが並外れて成熟するらしい。濃密な闇を吸って、星どもはすっかり太っている。白い、強い輝き。空全体にうすい光の靄がかかっているようだ><私は、そんな夜の中で、長い間一人でじっとしていた。私はこれまで、こんな夜に出会ったことはないような気がした。この島の夜の中には、私が長い間思い出そうとつとめながら思い出すことのできなかったものがあった。それは、夢のようなもの、遥かな幻のようなもの、或る幼年期の記憶のようなものだった>。

 同じものを見てもきっと「降るような星空」みたいな陳腐な表現しか思い浮かばないであろう私もいつかこんな夜空の下に身をおいてみたい。そこに顕れる心もようはどんな感じだろう。

<しばらく滞在してみよう、と私は思った。私はここで、なにものにもわずらわされずに、様々なことを考えてみるつもりだった。私は失ったものをとり戻し、忘れたものを思い出さねばならなかった>。

 旅、特にひとり旅の魅力の本質とはきっと、遠い地へわざわざ足を運び、世界中で一番近しい自分自身に向き合うことではないだろうか。

 今度旅する際はノートとペンをポケットに忍ばせていこう。スマホを触る何分の一かでも時間を割き、その光景に、出会った人々に、思索を巡らせ、咀嚼し、下手くそでもいい、文章で描いてみよう。岡谷氏のように流麗にはいかずとも、私だけの風景、私だけの旅がそこに立ち上がってくるはずだ。と、考えるだけで、不思議なことに出かける前からすでにわくわくしている自分がいる。