2019年1月18日金曜日

『待ち合わせ』クリスチャン・オステール(河出書房新社)

店をやっていて一番つらいことは何かときかれたら「待つ」ことだとこたえる。同時にそれは個人でちいさな店(うちのような)をやるときに一番必要なスキルでもあるかもしれないとも思う。
 
店をやるとは極論をいえば「待つ」ことである。もちろん商品を仕入れたりつくったりし、装飾や意匠に工夫をこらし、チラシや、今ならSNSなどを使い宣伝をし、ときにはイベントで客寄せもする。そういった「仕掛け」をつくることはできる。でもあとは待つしかない。客は来るかもしれないし来ないかもしれない。開けてみるまでわからない。神のみぞ知る、だ。

忙しいうちはいい。問題は暇なとき。重大なミスをしたのか。飽きられたのか。このまま潰れたら将来どうすればいいのか。そもそも自分はこの世界で必要とされていないのではないか。…様々な否定的な感情が去来する。こういう状態は想像以上に神経を衰弱させる。でも常に客が途切れないということはありえないので(少なくともうちは…)これをなんとか乗り越える術を身に着けないと店舗経営はできない。

今回紹介する『待ち合わせ』(クリスチャン・オステール著 / 河出書房新社)は<待つ>ことをテーマにした小説だ。大方のひとたちにとっては思わず笑いを誘うような内容…なのかもしれないが、私は先に書いたようなことをついつい考えてしまい笑うに笑えなかった…。

パリに住む主人公<僕>は恋人のクレマンスと別れてからも未練がましく近所のカフェなどで<待ち合わせ>を続けている。でもそれは一方的なものだ。彼女にはその時間も場所も教えていないのだ。そんなある日彼は、動物園に住み込み虎の飼育係をしている友人シモンをカフェに呼び出す。実はシモンも妻オドレイが家出し行方をくらませたため頭を悩ませていたのだった。孤独なふたりの距離は縮まり、シモンの家に入り浸るようになった<僕>のもとへ一本の電話がかかってくる。オドレイからだ。彼女は<僕>に意外な事実を告げる。実は彼女もあることを待っていたというのだった…。

<僕>の奇妙な<待ち合わせ>は、恋人は帰ってこないという事実を認めたくない心理の現れ、みたいにもみえるが、彼によると<日々の生活に関心をもつためにクレマンスを待つふり>をしているのだそうだ。そして<仮にクレマンスが帰ってくるようなことにでもなれば、そのときはせっかくととのえた態勢に狂いが生じ、僕の精神は安定を失い、想像するのもはばかられるほどの変調をきたしているだろう>という。

このあたりまではちょっと強情な感じが微笑ましくもあるが、さらに<僕>の哲学的考察(?)は深まっていく。<(待ち合わせは)クレマンスを待つためではなく、忘れるためだったのではないか>。こうなってくるとちょっとかわいそうにもなってくる。しかしその後、彼はパリの街なかを文字通り右往左往し、<待ち合わせ>は予想外のかたちに変化し<僕>の前に立ち現れることになる。

<僕>は悩むよりは寝てしまった方がましとすぐ寝てしまったり、何の役に立つかわからないからと携帯電話も持ち歩かなかったりする(クレマンスから電話かかってきたらどうするの!?いやかかってこないのが怖いのか)。ちょっとひねくれていて駄目っぽい感じのする男なのだがなぜだか憎めない。

自分に似ているからだ。

先に書いたように私はどうしても<クレマンス>を<客>に置き換え、自分の話として読んでしまう。お客さんがこないときってどうしようもなくおかしなことを考えてしまうし、右往左往しますよ。本当に。そのときの私は<僕>以上に滑稽だろう。

実はこの小説はすべて<僕>の<待ち合わせ>中の妄想なのかもしれない、と思ったりもする。ああいう結果ってできすぎだから。現実に私も妄想したりする。「今日は急になぜかわんさかお客さんがくる」と。でもそういうことはもちろんなかなか起こらない。M

2019年1月8日火曜日

『旅のラゴス』筒井康隆(新潮文庫)

書物と珈琲と旅。私の人生を構成する最も重要な要素たちだ。

先日、妻の買い物を待つあいだ、書店で表紙に惹かれ何気なく手に取ったある小説もまたそのすべてがテーマといってもよいものだったのでいっきに引き込まれてしまった。

『旅のラゴス』(筒井康隆著 / 新潮文庫)である。

舞台はここではない別世界。どこかモンゴルを思わせるような平原で幕をあける。主人公は南へとひとり旅をするラゴスという青年。一時的に放浪の牧畜民たちと同行している。ある日大雪を感知した彼らは避難のため故郷へと<集団転移>するという。グループをとりまとめるための<パイロット>を買って出たラゴスはそれを無事成功させる。物静かで篤実な性格のラゴスは皆の信を得るようになるが安住はせず旅を続ける。

途上、彼は幾多の場所を通過し、危険な冒険もし、様々なひとたちと出会う。顔を自由に変えられる者、<壁抜け>をする者、人のこころを読む者、空を飛ぶ者…。前近代的にみえるこの世界の人間たちにはなぜか特殊な能力が芽生えているようだ。いったいなぜ?そしてラゴスがひとり旅をする目的は?

謎はのちに明らかになっていき、真相にまずあっと驚かされるのだが、本書の真の面白さはそこからだ。

旅の長い時間に、ラゴスの人生が、そして世界の歴史が重ねられる。読者は自らの手に収まる現実世界の本という小さな培養器のなか、別世界の成長を見守っていくことになる。そしてその糧となるのが、ラゴスがある時点で目にすることになる膨大な書物と、そして珈琲なのだ(どのように、かは重大なネタバレに抵触するので詳しく書けない)。

書物と珈琲を滋養にひとのこころと世界は深みと豊かさを増していく。偶然とはいえ出来過ぎなくらい自分の店と、そして本ブログの一回目にふさわしい本に出会ったものだ。

物語の面白さに偶然の出会いの興奮も加わりページを繰る手は止まらないが、ページには限りがあり旅には終着点がある。そこでラゴスが見出すものとは何だろう。

私は初めに「人生を構成する最も重要な要素」と書いたが、ひととしてもっと大事なものが抜け落ちているのでは?と思った方もいるだろう。そう。誰しも年をとるごとにそれの大切さに気付いていくはずだ。

見聞を広め、経験を積み、様々なものを身につけ、しかし老いては徐々にそれらを剥いでいき、最期に残るのはやはり「それ」なのかもしれない。

「それ」とは何か。ご自身の目で確かめていただきたい。M