2019年2月7日木曜日

『闇市』(新潮文庫)

店をやっていて面白い時とつらい時は背中合わせだ。例えばお客さんがこない時期。頭をひねり、どうすれば来てもらえるかを考える。チラシをつくる。内装をかえる。新メニューやイベントを考案する。ホームページの写真を新しくする。などなど。こういうとき、脳は「創造モード」になり、店はようやく更新され成長する。逆に、順風満帆なとき、日々の日課でていっぱいのときは「ルーティンモード」なのでなかなそうならない。

ひとは逆境のなかでこそ輝き、かわることができるというのは本当だろう。今回紹介する本を読みあらためてそんなことを考えた。

『闇市』(マイク・モラスキー編 / 新潮文庫)には、題名となっている戦後の違法空間が登場する短編が11作収録されている(ちなみに今「舞台となっている」ではなく「登場する」と書いたのには深い意味があるのだが長くなるのでここではそれに触れられない。是非ご自身で確かめられたし)。

作者は誰もが知っている文豪たち、と、一般的にあまりなじみのない名前も混じっている。だが収録作品は意図的に知名度の低いものばかりとなっているからよほどの文学好きでない限り初めて読む作品が多いのではないかと思う。

太宰治『貨幣』は百円紙幣が主人公という異色作だ。手から手へと渡っていく主人公(百円)があるとき偶々辿り着いたのはある陸軍大尉のポケットのなか。薄汚い小料理屋へ入った彼はお酌の女に暴言を吐き、セクハラしまくり、あげく泥酔しぐでんぐでんに。そんな折に空襲警報、爆撃の音が鳴り響く。先程まで屈辱を与えられていた小料理屋の女はそれでも陸軍大尉を抱き支え安全な場所へと逃げる。このとき主人公(くどいようだが百円紙幣だ)は思う。

<人間の職業の中で最も下等な商売をしているといわれているこの蒼黒く痩せこけた婦人が、私の暗い一生涯においていちばん尊く輝かしく見えました>

中里恒子『蝶々』にもまた強い女性が登場する。薩摩富久子は鎮守府の長官夫人で何不自由のない暮らしをしていた。が、夫は敗戦とともにすべて形無しとなり無力となった。そんな彼に対し彼女は「もうあなたは使い途がなくなりましたね。あたくしが世間に出ることにしますからね。一切口出しをなさらないでくださいまし」と言い渡し、かつての夫の部下であった男とともに焼きとり屋をはじめる。

彼女は商売を嫌々やるどころか、そこで生き生きしてくるのであった。彼女は息子に言う。

<昔の奥さん連中が、あたくしのことを下品だの、ひとが変わっただのと言うけれど、ちっともあたくしは変ってやしないよ、これが母さまの本性なのですよ、やきとり屋のおかみさんのような、誰はばからない気らくな生活が、性にあっているということがやっとわかってきましたよ>

<もう猫をかぶっている必要はなくなったので、とてもさっぱりしてますよ。みんな、本性を現して、働くより方法がないんだから>

男性が主人公の作品も多いが、皆いっせいにゼロに還らざるをえなかった大転換の時期に、女性たちの強さが前面に出、よりたくましくなっていく作品が強く印象に残っている。私じしん大変な時期にはいつも妻の明るさに支えられなんとかやっているからこうした傾向はいつの時代も不変な気がする。

戦後という一見濃い雲が垂れ込めたようなイメージの時を描いた作品から総じて感じられるのは暗さよりも明るさと力強さである。さらにいえば爽やかさ。よくいわれる「元気をもらいました」という感想があるが、この短編集にこそその言葉が相応しい。M