2019年3月12日火曜日

『夢奇譚』アルトゥル・シュニッツラー(文春文庫)

これは夫婦の物語です。夫婦それぞれの心の奥底を容赦なく描いた危険な小説です。既婚の方はご注意下さい。....というような書評を書こうとしたが、読み直しているうちに既婚だろうが未婚だろうが関係なく、老若男女すべてのひとにあてはまる話なのだと思えてきた。だから言いなおします。これはあなたの物語です。

35歳の医者フリードリーンは、妻と娘と家庭円満、何不自由ない生活を送っている。しかしある春の夜、雑談中に思いもよらぬ妻の内なる声を知ってしまう。ショック状態でウィーンの街へとさまよい出た彼は、偶然出会った友人から得た情報で、ある館で行われる秘密のパーティーへと潜入する。会では上層の階級らしい匿名の男女が仮面をつけて集い、淫靡な交歓に浸っていた。そこで突然現れた謎の美女に、ここは危険だから早く逃げなさい、と告げられるが...。

本作は1920年代に書かれているが、今読んでも古びていない。それどころかネット社会と化した現在に読んでこそますます身に迫ってくるのではないかと思う。

SNSなどで匿名とアイコン(仮面)を纏ったうえでの発言と実際そのひとに会った時の印象が全く違う、というようなことにもはや私たちは驚かない。あれはどちらが本当の彼/彼女なのか(ときに性差さえ超越していて意味をなさないこともある)。この小説に即した正解を先にいえば、どちらも本当、ということになるだろう。

フリードリーンの妻は夢でみた光景としてこのようなことを述べている

<町はみえなかったけれど、あたしは町があることを知っているの。それはずっと下のほうにあって城壁に囲まれてて、とっても不思議な町なの>

そここそいわゆる深層心理の世界というものだろうか。

奇想ではあるがフリードリーンがさまよったのは実は彼女が夢見たこの町なのだとしたらどうだろう。彼が体験した一夜は現実なのか夢なのか?

実はそんな議論に意味はない。ということこそこの小説が言わんとしていることではないだろうか。

社会生活を営むためのルールに支配された「昼の世界」と、それに抑圧されひた隠しにされたどんなことでも起こりうる「夜の世界」。ひとはふたつの世界を生きている。ふたつ合わせて本当の人生なのだ。

冒険の末、彼は悟るのである。そして言う。

<どんな夢も(略)ただの夢じゃないしね>

読後あなたはもう夢を夢として笑ってすますことはできないだろう。M