2019年4月11日木曜日

『幻影の書』ポール・オースター(新潮文庫)

店とはきまぐれなもので、なにをやってもお客様がなかなかこないことは多い。だんだん気分は落ち込み、行動する気力が奪われ、ただ無意味にインターネットなどをぼんやりみたりしていると、さらに鬱鬱とした気持ちになる。これはいちばんよくない循環である。お客様が来ても来なくても、「Do Something」。とにかくなにかをすること。これが肝要だ。

『幻影の書』(ポール・オースター著)の主人公は、そんな私の卑小な日々の悩みなどとは比べ物にならないほど大きな絶望を抱えるが、やはり、「なにか」をしはじめたことにより生き延びる。そして物語は幕をあける。

中年の大学教授である主人公=<私>は、妻と二人の子供を飛行機事故で同時になくし、休職し、失意の底にいた。そんな折、偶然テレビで古い無声映画に出演するあるコメディアンをみかけ、魅了されていく。とにかくなにかすることを探していた<私>は、ヘクター・マンというその無名俳優を研究することを思い立つ。国内外に散ったアーカイブをみてまわり研究書まで発行するに至った彼のもとへ、ヘクターの妻を名乗る人物から一通の手紙が届く。ヘクターがあなたに会いたいと言っている、と。彼は驚きとともに疑いの目を向ける。ヘクターははるか昔に行方不明になり死んだものを思われていたのだ。そんな彼のもとへ、さらに謎の女性が現れ、強引にヘクターのもとへ連れて行こうとする。そして<私>は徐々にヘクターの知られざる人生を知ることになる。ヘクターにも実は壮絶な過去があったのだ。身も心も捨て鉢になり、彼もまた、とんでもない「なにか」をしはじめていた...。

<私>もヘクターもその「なにか」をする目的は明らかにお金ではない。名声でもなく、何かを残したい、という意志でもない。ひとは絶望の淵で、やむにやまれずなにかをし、そして別のどこかへと通り抜けていくのかもしれない。

<私>は言う。

<世界はさまざまな穴に満ちている。無意味さの開口部に精神が歩いて通り抜けられる微小な裂け目にあふれている。ひとたびどれかそうした穴の向こう側に行ってしまえば、人は自分自身から解放される。自分の生から、自分の死から、自分に属するあらゆるものから解き放たれる>

<私>にとって<穴>はある日たまたまみかけたテレビ番組だった。研究書を書いたことにより、それまでまったく縁のなかった映画/虚構の世界へと通り抜けてしまったのだ。そして虚構の世界の住人であるはずだったヘクターもまた、ある計画の末、みずからつくりだしたさらなる虚構へと人生を重ねていく。読み進むにつれ人生の現実と虚構の境目はいったいどこにあるのかだんだんわからなくなってくる。

それもそのはず。この本のタイトルは『幻影の書(THE BOOK OF ILLUSIONS)』。読後にみかえせばこのタイトルじたいが「人生とは幻だ」と言っているようにみえてくる。

ちなみに<穴>を通り抜けた先に<私>を待ち受ける結末には唖然とさせられるほかない。きっとそこからまた新しい物語=<幻影>がはじまり新しい<書>が紡がれるのだと思う。M